というのだそうだ。
「普通の築地塀(ついじべい)」ではないの?」
と思ったが
戦国時代の戦乱で焼けた瓦や石を塗り込めた塀で
豊臣秀吉による博多復興の際作られたとのこと。
いまは櫛田神社や聖福寺(いちばん下の写真)など
数か所でしか見られないとのこと。
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「築地(ついじ)」とは書くが
本来は「築土」であろうと思う。
分解すれば
築(つ)き土(ひじ) → ついじ
だろう。
古い言葉で泥や土のことを「ひぢ」という
塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ我ゆゑに
思ひ侘ぶらむ妹が悲しさ
(万葉集 中臣宅守)
築くは「つく」。
庭に作った山を築山(つきやま)という。
たとえば都筑区(つづきく 筑≒築)
なんてところにも使われている。
お魚の築地(つきじ)は
「地面を築いた(うめたてて地面を作った)」だろうから
文字通り「築地」でよいのだろう。
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