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2020年10月11日日曜日

鯨に青海波 の印

 飮如長鯨吸百川

(左丞相が飲む姿は、巨大な鯨が100の川の水を吸い込むよう)
酔入東海騎長鯨
(安期生は酔って東シナ海に飛び込んで大鯨にのったもの)

#巴林石 15mm画像に含まれている可能性があるもの:食べ物

2016年10月3日月曜日

空芯菜の花

毎年、1輪くらいは咲くけど
2輪も3輪も咲いた覚えもない。

空芯菜(くうしんさい)。
うちの周りのスーパーでは
朝顔菜(あさがおな)の名前で売られている、
朝顔の仲間。

花は朝顔そっくり!
…といいたいけど
むしろ夕顔が思われる。

朝顔、空芯菜、
ついでにいえば
昼顔、夜顔、それに薩摩芋はヒルガオ科、
夕顔はウリ科なのだけれど。


夕顔という名も花も
なんだかはかなげに思われるのは
薄暗い中で開くよわよわしげな白い花だからなのか
朝を待たずにしぼんでしまうからなのか
源氏物語の余韻なのか。

…3つコミ、なんだろうな。



心あてにそれかとぞ見る
 白露の光そへたる夕顔の花
         (源氏物語 夕顔)


心あてに折らばや折らむ
 初霜の 置きまどはせる白菊の花
         (百人一首/古今集 凡河内躬恒)

にそっくり。




…空芯菜の花の話だった。

めっきり秋っぽくなって草の勢いが衰えてきたうえに
長雨と、行事続きの週末で手が入らず
庭は荒れ気味。

苦瓜の蔓はだいぶ衰えたけど
実はまだだいぶ採れる。


週末晴れるとよいのだけれど。

2016年9月24日土曜日

豆を煮るに豆ガラを焼き、モロヘイヤを縛るに麻ひもを結ぶ

いや!
というほどモロヘイヤが採れる。

クセもないし
ネバネバもおもしろいし
使い方に困れば
冷奴や納豆に大量投入するだけでおいしいので
妻もあまり困っている様子はない。

ばらけて16株、
株立ちで2,3本ずつ植えているから
計40本くらい植えた(今数えてみたら案外多かったな)。

ここ10日間は特に収穫が多くて
10日間の平均で63枝/日、
1株から毎日4枝、
1本の幹からは2日で3枝を収穫していることになる。

草丈2mばかりの大きな「木」から2日で3本の小枝を採る、
と考えると
そうムチャな数でもない。


ひととモロヘイヤの話になると
知ったかぶりに披露する話が2つある。

1)毒
モロヘイヤの実には毒がある。
1996年長崎では
実を食べた牛が死ぬ事故があった。
若い芽や葉っぱは問題ない。
実は
ごまの鞘を大きくしたようで
小さなオクラっぽい。

何かの番組で
これから中高年の趣味としての家庭菜園が拡大していくであろう
という予測の下で
おいしそうに見えるモロヘイヤの実(鞘)の危険は
もっと知られるべきだ
といいっていた。


2)麻ひも
「繊維の材料であるジュートの産地」は
いかにも地理の問題にありそうだけど、
ジュートを知っている人は多くないと思う。
でも、
ジュートの正体は、何を隠そうモロヘイヤである。
身近なジュート製品には
麻ひもやコーヒー豆の袋がある。

参考
http://www.naro.affrc.go.jp/org/niah/disease_poisoning/jute.html


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うちでは
モロヘイヤを含めて
野菜を支柱にくくるのに麻ひもを使っている。

ジュート(モロヘイヤ)をジュートのひもでくくるのは
豆を煮るのに
豆の枝を焚き付けにするのにどこか似ている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

曹植は
兄である皇帝(文帝)にその才能を憎まれ
「才能があるというなら
 七歩歩くうちに詩を作れ。
 作れなければ罪におとす」
と命じられる。
曹植は七歩を歩みつつ詩を詠む。

豆を煮る焚き付けに豆の枝を燃やす
豆は釜の中で泣く
もともと同じ根から生まれた兄弟なのに
兄たる枝は豆を煮るために燃え
弟である豆は枝に煮られる。
どうしてそうなっちゃったかな…

文帝は涙を流した。



…世説新語ではこんな感じだが
三国志演義では
7歩で別の詩を作り、
「即座に詠め」
と命じられてこの詩を作っている。



七歩詩  曹植 

豆を煮るに豆がらを燃やす
豆は釜中にありて泣く
本これ同根より生じるに
相煎(に)ることの何ぞはなはだ急なるや

煮豆燃豆萁
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急

またこうも。

豆を煮て持って羹(あつもの)を作り
菽(まめ)を漉して以て汁と為す
萁は釜下にありて然(も)え
豆は釜中にありて泣く
本これ同根より生じるに
相煎(に)ることの何ぞはなはだ急なるや

煮豆持作羹
漉菽以爲汁
萁在釜下然
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急






................................................................

2016.09.24追記
モロヘイヤ(シマツナソ)はシナノキ科、
日本でシナノキから「しな布」を作るのと同じように繊維の元になる
と思っていたら
今日「昔はシナノキ科に分類していたが今はアオイ科に分類する」
とウィキペディアで知った。

2016年9月20日火曜日

一雨所及 皆得鮮澤

妙法蓮華経 薬草喩品から

一降りの雨の及ぶところは
   一雨所及

みな一様に鮮やかさと輝きを得る
   皆得鮮澤


干天の慈雨に
よろこぶ芽生え
     (15mm x 15mm)



譬如大雲
起於世間
遍覆一切
慧雲含潤
電光晃曜
雷聲遠震
令衆悦豫
日光掩蔽
地上清涼
靉靆垂布
如可承攬
其雨普等
四方倶下
流澍無量
率土充洽
山川險谷
幽邃所生
卉木藥草
大小諸樹
百穀苗稼
甘蔗蒲萄
雨之所潤
無不豐足
乾地普洽
藥木竝茂
其雲所出
一味之水
草木叢林
隨分受潤
一切諸樹
上中下等
稱其大小
各得生長
根莖枝葉
華菓光色
一雨所及
皆得鮮澤

如其體相
性分大小
所潤是一
而各滋茂

一は二を生ず

道は一を生じ
一は二を生じ
二は三を生じ
三は万物を生ず
   道生一
   一生二
   二生三
   三生萬物
万物は陰を負ひて
陽を抱き
沖気を以て和を為す
   萬物負陰而抱陽
   冲氣以爲和
       (老子)


1つのはんこをちょん切って
2つのはんこにした、
という話である。

短くするとたくさん押すのに押しにくいし、
他と長さが違うとしまいにくいのでやめよう、
と思っていたが
なんだかどーしても切ってみたい気がして切ってみた。

なんか彫ってみるか。

















2016年9月19日月曜日

讀山海經


山海経を読む(その一)
          陶淵明

初夏となって草木が茂り
うちの周りも緑が濃い

鳥たちが自分の居場所を喜ぶように
私もまた私の小さな家を気に行っている

庭を耕し、種をまいて
時には本を読む。

お歴々がこんな窮屈な路地に来ることはないけど
友達はわざわざ車を向けてくれる
うれしくなった私は春に醸した酒をとりだし
庭から野菜を摘んでくる。

東の方から涼しい雨が降ってきて
心地よい風が吹いてきた。

昔の魔法の物語を読み、
世界の不思議の図鑑を眺め
大宇宙に思いを巡らす。

とても楽しい。


。。。。。。。。。。。。。。。

…ということで山海経にちなんで手長足長を彫ってみる。
彫りながらうっすら気づいたけど
手長足長はむしろ
(和漢)三才図会 かな。
(15x15mm)




。。。。。。。。。。。。。。。


讀山海經其一 陶淵明

孟夏草木長
遶屋樹扶疏
衆鳥欣有託
吾亦愛吾廬
既耕亦已種
時還讀我書
窮巷隔深轍
頗迴故人車
歡言酌春酒
摘我園中蔬
微雨從東來
好風與之倶
汎覽周王傳
流觀山海圖
俯仰終宇宙
不樂復何如

2016年9月18日日曜日

靉靆垂布 如可承攬

妙法蓮華経 薬草喩品は
熱帯の雨を
カラッカラの乾季、
雨を待ちわびるの生き物たちの頭上に雨雲が重く広がり、
待望の雨が
たっぷり降り注ぐ喜びを活写して余すところがない。

その、
雨がまさに降ろうとする寸前の
空いっぱいに広がる雨雲の
雨があふれそうな様子

暑い太陽が遮られ
地上がさぁ~っと涼しくなり

靉靆垂布
  分厚い雲がモクモク垂れ下がり
如可承攬
   もう雲に手が届きそう

雨だ!!


そんなイメージを彫ってみた
(15x15mm)


譬如大雲
起於世間
遍覆一切
慧雲含潤
電光晃曜
雷聲遠震
令衆悦豫
日光掩蔽
地上清涼
靉靆垂布
如可承攬
其雨普等
四方倶下
流澍無量
率土充洽
山川險谷
幽邃所生
卉木藥草
大小諸樹
百穀苗稼
甘蔗蒲萄
雨之所潤
無不豐足
乾地普洽
藥木竝茂
其雲所出
一味之水
草木叢林
隨分受潤
一切諸樹
上中下等
稱其大小
各得生長
根莖枝葉
華菓光色
一雨所及
皆得鮮澤
如其體相
性分大小
所潤是一
而各滋茂

2016年9月15日木曜日

本と猫と狸と

贈猫
         陸游

裹鹽迎得小狸奴

  塩をお礼にして
  子猫をうちに迎えた


盡護山房萬卷書

  うちの膨大な本を
  ネズミから守ってくれる


慚愧家貧策勳薄


  恥ずかしいけど
  うちは貧しくて
  十分なご褒美はやれない


寒無氈坐食無魚


  寒くてもフェルトの敷物もないし
  ごはんに魚もつけてやれない
          ごめんな。

小狸奴
「子だぬきのヤツ」
ではなく
猫のこと。
子猫ちゃん、といったところか。

ドラえもんが
「タヌキ!」
といわれて怒るシーンはお約束だが
この伝で行けばさだめしドラえもんは
青狸奴
であろう。
タヌキといわれるのも、
あながち故なきこととはいえない。

西遊記で牛魔王(正妻は羅刹女)の愛人の妖怪を撃ち殺すと
その正体は「玉面狸」であった、
とある。
玉面狸が何者であるかはわからないが
これもタヌキではなさそうだ。


陸游も梅堯臣も
猫に本(だけではあるまいが)を鼠害から守らせたという詩を作っている。
唐詩選に猫はみないから
(というか、龍鳳、牛馬以外の動物もあまり見た覚えがないが)
中国では宋になって猫が増えたのだろうか。

そんな感慨はともかく
本を守る猫を作ってみた
(15x15mm)
 

2016年8月17日水曜日

ささがにのいと

アヅチグモ、
というらしい。

いっしょにいた女の子が
「カニ?」
と聞いてきたが、
カニグモ科のクモとのこと。
色が美しい。
眼が印象的。



クモの古名に「ささがに(細蟹)」というのがある。
小さな蟹。
糸をかける姿から
織姫のことを笹蟹姫とも。


思ふこと 軒のあやめに こと問はん
 叶はばかけよ 笹蟹の糸

菖蒲の占(あやめのうら)という。

アヤメというよりショウブであろう、
葉を引き結んで
歌の呪をかける。
結び目にクモの糸がかかっていれば
願いは成就する。

雅なものである。


2016年8月13日土曜日

故屋夏にして草木深し

4月に今の家に前の家を出るに際し
子育て中のシジュウカラの巣箱はしばらくそのままにしておいてほしい
ということして、
大家さんも快く了解してくれた。

シジュウカラの巣立ちのシーズンも終わり
撤去に行った。

庭、すごいことになっていた。
背丈を超す雑草が一面に。
草の間に倒伏したトマトが赤い実をつけていた。
ゴーヤも。
1m以上の丈のシソは
虫食いで葉脈だけになっていた。
見には行かなかったが東の隅には
毎年のことだから
コンポストの種から芽を出したカボチャも繁茂していただろう。

國破山河在   国破れて山河在り
城春草木深   しろはる
感時花濺涙   時に感じては花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心   別れを恨みて鳥にも心を驚かす

家を出るとき既に朽ちかけていたニオイシュロは完全に朽ち、
猫から巣箱を守るために巻いていた有刺鉄線で
かろうじてもう1本の幹に支えられていたので
鉄線を切ると
音もなく崩れた。

巣箱には巣材が入っていた。
シジュウカラは無事巣立ったことだろう。
一番初めに作った巣箱で
捨てるに忍びなく
ここでは小鳥が来る由もないとは知りながら
しばらくリビングの前のフェンスにかけておくことにする。


























2016年8月5日金曜日

南面王樂

定時にさぁ~っと帰ろうとしたら
「飲み会ですか?」
といわれたので
「そー」
と背中に応えてさっさと帰る。

手も洗わず冷蔵庫から取り出したビールを持って庭に出て
 ぱっかん!
と開ければ言に違わぬ「飲み会」である。

下一酒  葉っぱの下で1缶のビール
獨酌無相親  一人ぼっちで飲む
舉杯邀苦瓜  コップを差し上げてゴーヤを迎え
成三人  隠元豆と合わせて
          三人で飲むことにする

の趣きか。

…たとえそれが「第三のビール」であったとしても
                           である。


飲むだけ飲んで放っておけばいいのに
フェンス沿いの花壇ならぬ「菜壇」の土がカッチカチなのが
どーしても気になり
掘り返してみる。

わかってはいたけど
根っこが充満している。
ゴーヤ?胡瓜?

根っこ、
こんなにずたずたにしていいか?

不安でもあるけれど
飲んだ勢いで思いっきり鋤き返し、
酔いに任せて堆肥をぶち込み、
苦土石灰と化学肥料も少々混ぜこむ。

そしてまたビ~ル。
どうなるかなぁ。





…人にも自然にも煩わされない時間。

 「南面王の楽しみ」というべきか。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
荘子が旅しているとき
落ちているドクロを見つけた。

荘子はそれを棒でつつきながら
「どうしてこんなことになっちまったんだ。
 悪さをしたのか?飢え死に?寿命?」
そういってドクロを枕にして寝てしまった。

そしたら夢を見た。

夢に現れたドクロはいう
「まったくもう、
 地獄のような世間に生きる人間の浅はかな知恵で
 平和で平等で平安な世界をけなすとは
 いやはやもう」

荘子は「ほんとか?」という思いで
「なんとかしてあンたを生き返らせようか?」
というとドクロは、
「やめれ!
 この王様気分の楽しみを捨てて
 世間の苦労にもどれってかぁ?」

と、
いいましたとさ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

莊子之楚。見空髑髏。昂然有形。
檄以馬捶。因而問之曰。
夫子貪生失理。而爲此乎。
將子有亡國之事斧鉞之誅。而爲此乎。
將子有不善之行。愧遺父母妻子之醜而爲此乎。
將子有凍餒之患。而爲此乎。
將子之春秋故及此乎。

於是語卒。援髑髏。枕而臥。

夜半髑髏見夢曰。
子之談者似弁士。視子所言。皆生人之累也。
死則無此矣。子欲聞死之説乎。
莊子曰。然。

髑髏曰。
死無君於上。無臣於下。
亦無四時之事。従然以天地為春秋。
雖南面王樂。不能過也。

莊子不信曰。
吾使司命復生子形。為子骨肉肌膚。
反子父母妻子間里知識。子欲之乎。

髑髏深顰蹙曰。
吾安能棄南面王樂。
而復爲人間之勞乎。

         …荘子 至楽篇

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上述の「詩」のモトは李白の「月下独酌」の冒頭

花間一壼酒  花の下、一壺の酒
獨酌無相親  一人ぼっちで飲む
舉杯邀明月  杯をあげて酒の上に月を映し
對影成三人  自分の影と合わせて
          三人で飲むことにする

2016年7月28日木曜日

千里、暮雲平らかなり



千里、暮雲平らかなり。

地平線の果てまで、
夕空の雲が平らに広がっている。

それって、こんな雲じゃない?
という雲が広がっていた。
19:00ころ
会社の窓から。

出典の詩は冬枯れの大草原を歌うが
梅雨明けの横浜にその雲を見た、
と思った。




向こうに入道雲が見える




観猟 王維

風勁角弓鳴   風勁(つよ)く角弓鳴る
将軍猟渭城   将軍 渭城に猟す。
草枯鷹眼疾   草枯れて鷹眼疾(はや)とく
雪尽馬蹄軽   雪尽きて馬蹄軽(かろ)し。
忽過新豊市   忽ちに新豊の市を過ぎ
還帰細柳営   還(ま)た細柳の営に帰る。
廻看射雕処   雕(ちょう)を射し処を廻(かえ)り看れば
千里暮雲平   千里、暮雲平らかなり。

2016年7月18日月曜日

黄夫立たず

三国志演義は黄巾の大乱をその話の端緒とする。

吉川英治の三国志では
その予言詩とでもいうべき童謡を
次のように記す。

 蒼天已(すで)に死す
 黄当(まさ)に立つべし
 歳は甲子にありて
 天下大吉

青空のような正義が死んで
「黄色い男たち」が立ち上がる…

ナウシカの「青き衣のもの」ではないが
はっきりはしない迫りくる「何か」を暗示する
期待とも不安ともつかない妖しい空気あるではないか…

と思っていたら
この「黄夫」が
作者の創意または(あまりによくできた)誤謬であることを
ついいましがた知った。

後漢書の皇甫嵩朱儁列伝によれば

 蒼天已死
 黃當立
 歲在甲子
 天下大吉

であるとのこと。
40年近くの誤解していたとは…!

確かに「黄天」のほうがわかりやすく
韻としてもよさそうには思われる。

ただ(食い下がるようでおかしいが)
黄巾の乱崛起の予兆としては
「黄夫」の方が似つかわしく思われるし
無論、
吉川三国志は「黄夫」でなくては成り立たない。

奇跡の誤謬か
稀代の思いつきか…

いずれにせよ
日本では「黄夫」を心に刻んでいる人が
もしかすると大多数であるに違いない。

吉川英治も
罪作りなことではある。













2016年6月7日火曜日

標(しるし)を附けざるは咎(とが)なり

人を傷つける生き物には
「こいつは危ないぞ」
という印をつけないと
その管理者の責任となる、
というのは養老律令の定め、
とのことである。

 人觝(つ)く牛をば角を截(き)り、
 人喰ふ馬をば耳を截りて、その標(しるし)とす。
 標を附けずして人を傷(やぶ)らせぬるは、
 主の咎(とが)なり。
 人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。
 これ皆、咎あり。
 律の禁なり。
    …徒然草183段

なるほど。
とゆーことは、
無礼で何を言い出すかわからない人には
その標(しるし)を付けるのは僕の責任か?

そんな
合理的なんだかむちゃくちゃなんだかわからない屁理屈は
酔っ払いの創作意欲を焚きつける、
絶好の火薬である。

真夜中、
筆を引っ張り出して
謎の団扇を制作する。

裏側は
「成仏しろよ」
の願いを込めて、
梵字のキリーク(阿弥陀如来)である。

…翌朝、
さすがにしらふに戻った状態で
会社に持って行くのは気が引けたが
そこは勇気をもって
カバンに入らない団扇をぶら下げて出勤し、
無礼者につきつける。


無礼者は
きゃーきゃー言いながら団扇を受け取った。
まちがいなく
恐れ入ったのだと思う。

…そう思いたい。

2016年4月20日水曜日

雛の家

草の戸も住替る代ぞひなの家
                …芭蕉
.....................................................................

おととい新居に引越し、
今日、元の家を大家さんに返した。

今日家を返す、という今日、
庭の巣箱で
シジュウカラの卵が孵った。

芭蕉は
自分の出た家に女の子のいる家族が入ったことを
「住替って『雛人形の飾られる家』になった」
と詠んだが
うちは住替って
四十雀の雛の家となる。

.....................................................................

家を返す手続きの覚書に
雛が巣立つまで
巣箱を残してもらうことを付け加えてもらった。

.....................................................................

孵ったばかりの雛は
丸裸で目も開いていなくて
ありていにいってかわいくない。

でも
か細く、無垢なその声は
ただただ、
愛おしい。


昨日(2016.04.19)は抱卵していた。

宿執開発の守宮

前の家には巣箱を2つかけていた。
巣箱に入居するのは毎回四十雀だが
テリトリーの関係で、2つに同時に営巣することはなかった。

そして今回も一方に営巣があったので
此の方には営巣はなかった。

外してみたら
中にスズメバチの巣があった。
去年の夏はむしろスズメバチは少なかったが
まさか自分の家に巣があったとは…

処分するにせよなんにせよ、
ということで
新居に持ち帰り
あらためて中を見てみると
ヤモリまで連れてきていた。
ヤモリ(家守り/守宮)を連れて来たとは
なかなか縁起が良い。

目玉がくりくりして
グローブのような大きな手で
やもりはなんだかのんきでユーモラスである。

フラッシュをたいて写真を撮ると

 くぅ~

という小さな声がする。
また撮ると

 くぅ~

という。
ヤモリが鳴いているのであった。
初めて聴いた。
とてもかわいい。
「空(くう)」と誦しているように聞こえる。

あな尊(とうと)や。
宿執開発(しゅくしゅうかいほつ)の虫かな。
空、空と唱ふるぞや。

来世は善道に生まれ来られるに違いない。




栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、
河にて馬洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、
上人立ち止りて、
「あな尊や。宿執開発の人かな。
阿字阿字と唱ふるぞや。
如何なる人の御馬ぞ。
余りに尊く覚ゆるは」
と尋ね給ひければ、
「府生殿の御馬に候ふ」と答へけり。
「こはめでたき事かな。
阿字本不生にこそあンなれ。
うれしき結縁をもしつるかな」とて、
感涙を拭はれけるとぞ。
             (徒然草)

2016年3月26日土曜日

昼休みの春

春は花 夏ほととぎす 秋は月
 冬雪さえてすずしかりけり
            (道元禅師)


この季節の昼は忙しい。

昼休み、弁当を食べた後
会社の敷地を「巡回点検」して回れるのは
がんばっても30分間ちょっと。

それでもこの季節は沢山の花が見られ
2,3日すると
また別の花が現れる。

6月になると蚊を怖れて「巡回」も億劫になってしまうので
今の巡回を楽しむ。



胡瓜草(きゅうりぐさ)は今年は初めて見る。
摘んでもむと胡瓜のにおい。

夏になると煩わしいばかりのカタバミも
今はつつましやか
ヤブカラシも芽吹きはかわいい。

ハコベ、オランダミミナグサのなかま

苦菜、タンポポ、ボロ菊など黄色いキク科の植物たち

カラスノエンドウ、コメツブウマゴヤシなど豆の仲間も増えてきた
やがて、シロツメクサ、タンキリマメも出てくるだろう。

イカリソウの花を一輪だけ見つけた。
あちこち蕾は一杯だから
満開ももうすぐ。