2016年3月11日金曜日

一本松の「信」

奇跡の一本松の維持と保存については
震災直後からたくさんのニュースになっていたし、
賛否もいろいろあった。

やったらいいことなのだろう、
とは思われたが、
はたして今なのか?
とも思った。

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行ってみると
陸前高田は、
なにもかもがもう
声を失うくらい跡形もなく洗い流されていた。

そんな中で
ただ1本の松の存在が
無に帰した。という評価を
静かに拒むが如くであった。

真っ平らで、
おそろしく見通しの良くなってしまった市内からは
どこからでも松が見えた。
何キロ先からでも見えた。

ともすれば
「すべてが失われた」
と思いそうになる街(だった地)の上で
松が見えるという視覚的確認は
「耐えて立っているものがいる」
ということを思い出させ
絶望への陥落を
かろうじてつなぎとめ、
現実に向き合う
気力を搾り出させているかのようだった。


松の保存には
いろんな批判もあったけど
合理的とはいえない選択なのかもしれないけれど
僕が高田にいたのはほんの数日にすぎなかったけど
その時のその場に立てば、
それはそうしないわけにはいかない
理由があったように思われた。

「信なくんば立たず」
というが
僕には松がその
「信」そのものであったように思えたのだった。

震災から5年。
写真をひっくり返していたら
バカみたいにたくさんの松の写真が撮ってあった。
それをみて
そんなことを思った。

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子貢が問う。
「政治とは?」

先生は
「食、つまり、体を維持するのに必要なもの、
  兵、つまり、コミュニティーを守る仕組みやハード、
  信、つまり、信用、心のよりどころ、身を任せられる何ものか、
  それを提供するのが政治だ」
という。

「1つを捨てるとしたら何を捨てますか?」
「仕組みやハードだね」

「もう一つ捨てるとしたら何ですか?」
「物資だね。」

「物資があってもなくても、
 死ぬというのは不可避。
 だが、
 信じられるものなければ
 存在することすらできない。」
そう先生はおっしゃった。

子貢問政
子曰。足食。足兵。民信之矣。
子貢曰。必不得已而去。於斯三者。何先。
曰去兵。
曰必不得已而去。於斯二者。何先。
曰去食。
自古皆有死。
民無信不立。
      (論語/顔淵)












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