2016年6月7日火曜日

標(しるし)を附けざるは咎(とが)なり

人を傷つける生き物には
「こいつは危ないぞ」
という印をつけないと
その管理者の責任となる、
というのは養老律令の定め、
とのことである。

 人觝(つ)く牛をば角を截(き)り、
 人喰ふ馬をば耳を截りて、その標(しるし)とす。
 標を附けずして人を傷(やぶ)らせぬるは、
 主の咎(とが)なり。
 人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。
 これ皆、咎あり。
 律の禁なり。
    …徒然草183段

なるほど。
とゆーことは、
無礼で何を言い出すかわからない人には
その標(しるし)を付けるのは僕の責任か?

そんな
合理的なんだかむちゃくちゃなんだかわからない屁理屈は
酔っ払いの創作意欲を焚きつける、
絶好の火薬である。

真夜中、
筆を引っ張り出して
謎の団扇を制作する。

裏側は
「成仏しろよ」
の願いを込めて、
梵字のキリーク(阿弥陀如来)である。

…翌朝、
さすがにしらふに戻った状態で
会社に持って行くのは気が引けたが
そこは勇気をもって
カバンに入らない団扇をぶら下げて出勤し、
無礼者につきつける。


無礼者は
きゃーきゃー言いながら団扇を受け取った。
まちがいなく
恐れ入ったのだと思う。

…そう思いたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿