2015年10月18日日曜日

手習いの机

小机 は、
横浜に来たばかりのころ
「ここなのか!」
と、感じ入った場所の1つ。

根岸鎮衛の「耳嚢」によれば
太田道灌の初陣は、武州小机城攻略船。
その際に、数え13歳の道灌少年は

 小机は まず手習いの初めにて
 いろはにほへとちりぢりにせん

と詠じて、歌人としての才能の片鱗をみせたとか

ウィキペディアには
同館満46歳が部下を鼓舞するため

「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」

と詠んだとあるけど、
史実はともかく、
話しとしては
初陣の少年の手習い初めの歌のほうが
だいぶ面白い。

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耳嚢には道灌の話がいくつもあり
どれも、歌がらみのとんち小咄みたいで面白い。

宮中で公卿たちに歌を所望された道灌は
田舎歌人らしくい歌を詠む

 武蔵野の折るべい草は多けれど
  露すぼこくて折られないもさ

「べい」だの「すぼこい」だの「もさ」だの
お国ことば丸出しで公卿たちは大うけ
こで今度は「こんなのもあります」と、
雄大な歌を詠んで公卿たちを感心させる

 露をかぬかたもありけり
 夕立の空よりひろきむさしのゝ原

今の僕たちは
七飯八重~、くらいしか知らないが
江戸時代には
「一休とんち話」みたいに、
「道灌歌ばなし」のシリーズがあったのだろうか
と思ったりする。



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