2015年10月13日火曜日

秋水篇

毎年季節ごとに、思い出して読み返す文章がいくつかある。
秋に読み返す1つが荘子「秋水篇」。


秋になって、
水嵩が増して大きくなった自分を見て
無邪気に喜ぶ黄河の神、河伯。
調子に乗って海に出て、
そのあまりの広さに素直に驚き、
海の神、若(じゃく)に向かって
世間知らずの自分を反省する、河伯。


秋の清明な雰囲気と
河伯の無邪気さがなんともほほえましく思われて
全然開いたこともない章もあるのに、
ここは何十回も読んでいる。
でも今年は
鬼怒川の大水のことがあって
ちょっと複雑な気分。

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秋水篇 第十七

秋水時に至り、百川、河に灌ぐ。
涇流の大、両涘渚崖の間、牛馬を弁ぜず。

是に於いてか、
河伯、欣然として自ら喜び、
天下の美を以って、尽く己に在りと為す。
流れに順ひて東行し、北海に至る。

東面して視れば、水際を見ず。

是に於いてか、
河伯、始めて其の面目を旋らし、洋を望み、
若に向かひて歎じて曰く、

野語にこれ有り、
道を聞くこと百にして
以て己に若くもの莫しと為す、
と曰ふ者は、
我の謂ひなり、と。
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俗説に
「河伯(かはく)は河童(かっぱ)なり」
という。

ピラティスの帰りに夜の鶴見川を写してみる。



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