2016年5月9日月曜日

関東ローム層の粘土の固まった庭の土。
鰹節くらいの礫がゴロゴロ。
堅いし、石だし、
杭を50㎝打ち込むことだって容易でない。
雨の後歩くと
靴の裏に5㎝も粘土がへばりつく。

ここに1畝作るにはいったい何日かかるのか…

…と思っていたら
建築会社で入れ替えておいてくれた黒土が
思った以上に良質で
量も頼んだ以上の量で、
70cmx4mばかりの畝だけど
中学生を活用した結果、
何時間もかからず畑らしくなった。

土の塊はもう少し砕きたかったけど
連休中の疲弊で
これ以上は鍬を振えなかった。

見えると気になるので
気になる前に
マルチシートで蓋をした。

来週苗を植えよう。
もう少し畑を広げよう。


2016年5月7日土曜日

農業グッズ置場2

庭の倉庫を作り上げる。

防腐材を塗って
脚が乾きやすいように
鋲を打ってみる。

上段の戸の板に張った斜めの板は
材料倉庫の屋根のきれっぱし。

なんだか安っぽい西洋アンティークみたいになってしまった
それと、
ちょっと大きすぎ。
奥行90㎝で作ろうとして
大きすぎ、と思って60㎝にしたが
結構な圧迫感になった。
45cmでよかったかな。

支柱や鍬をしまうスペースを作ったら
庭の養生シートの最後の「山」が片付いた。
でも
家の方は
なんだかいきなり生活感が出て少々がっかり。




2016年5月4日水曜日

農業グッズ置場

窓の高さの台を作り
上には窓から見えるように植物を、
下に培養土や肥料を置けるようにする。

午前中
 「う~~~ん」
と考え、
昼前になってようやく着手し、
20時近くになって大体できた。
あとは板を張るだけ。

…新規材料購入はほぼなしで出来上がりそう。
その材料はと云えば、前の家から持ってきたものである。
引っ越し荷物の多い所以である。



どこかでもらってきた古材で脚を作る。
縦方向は鉈で割っちゃう。


20年近く愛用してきた木槌も割れてしまう。


3セットの脚ができたころにSun set
庭に水平な場所がなくて
組み立てで直角が出なくて困った。

返り討ち

足ふきマット掛けを作った。

端材を「ご自由にお取りください」
といってくれる建築会社でもらった
柱のきれっぱしと角材で
工作した。

むやみにナイフで木を削ってみたくて作り始めた。
しゅるるしゅるると
気持ちよく木を削る爽快感を予定していたが
節と逆目で
返り討ちに合う。

2016年5月2日月曜日

材料品倉庫

引っ越して2週間。
5月、畑の季節となった。

畑を作りたい
 ↓
庭のテントを撤去しないと
地面が出てこない
 ↓
荷物の収容先がないとテントが撤去できない
 ↓
荷物の収容先を用意しなくては…

…ということで「材料品倉庫」を作ってみる。
投資は3,000円位だけど
引越し以来の疲れで体が動かず
ほぼ2日間かかってしまった。
とはいえ
曲がりなりにもテントは撤去できた。

屋根については考え中。
とりあえずシートをかけておく。

あ゙゙~~!
設置する前に
防腐剤的なものを塗ればよかったな~~

2016年5月1日日曜日

萬羽軒

神保町のすずらん通りは何百回も往復したが
横道はあまり知らない。

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ふと思いつきで曲がってみたら
文房具の並ぶ骨董品屋さんがあった
印材や硯からは足を洗ったつもりだが
見ればやはり気になる。
えてして入りにくいこの手の店だが
勇気を振り絞って扉を開くとご亭主はいたって愛想がよい。

ま「誰かに聞いてきたの?」
ぼ「いや通りすがりにふらっと」
ま「通りすがりに入られることのまずない店なんだけど
  珍しいなぁ」

蒙古の印材やら
端渓の水巌やらの話しをするうち
金沢の表立雲先生の名前やらなんやら
懐かしい響きがいろいろ出てきた。

會津八一や良寛の話の流れで
高校の恩師にして
いまも「文人趣味」つながりのある、
川野辺健司先生の名が出てきたときには
ご亭主(軒主?)の萬羽啓吾さんと僕と
両方で驚き、
萬羽さんは
「こういうことがあると思うと
 この商売やっていて本当に良かったと思う」
と云ってくれたが
僕も自分にこういう指向があって本当に良かったと
珍しく思った。

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ずいぶんたくさん語り、
余り長居しても、と思って辞したが
ただの30分ばかりのことだった。

ここ何年も活動しなかった心の領域が
久しぶりに活性化した。

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萬羽さんは良寛の研究、書の目利きで知られた方。

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いったんお店を出て
写真を撮らせてもらうともどったら
「そうそう、
 6/1の『ヒルナンデス』で取り上げられるから
見てよ」と
「いつもなら1枚3500円なんだけど…」という手書きの名刺を
もう1枚いただいた。

本のある国に戻る

酒のない国へ行きたい二日酔い
 また三日目に帰りたくなる

引越しで
大量の本の移動であんなに苦しんだのに
いったん片付いてしまえば
神保町に行った以上、
本を漁らない、
というわけにはなかなかいかない。

長年の性分はなんとも致し方ない。

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今回の一番の目玉は「尉繚子(うつりょうし)」かな。
400円。

孫子と違って、尉繚子の本はあまり見かけない、
というのもあるが、
同じ著者の「兵法七書(全5巻)」の中で
この巻だけ自序がやたらと長い。
全258ページのうち、「読前感」48頁、「読後感」14頁、
他に自序6頁が付され、著者がやたらと語っている。

一緒に買った「孫子」は
同じく全258ページに付されている
「著者の私語」は僅々5頁である。

彼ら(春秋時代の兵法家)は
先ず国際条約の忠実な遵奉者として出発する。
---略---(条約を)作ったのは誰かといえば
武力を背景とする強国であるから
たとひ条文に国際正義を盛り上げても
自己の束縛されるやうな文字は
一文字だって挿入しないだけの用意が周到にある。
---略---正直さうな顔して
自己擁護の塹壕を掘るに忙しい強国は満足国であるから
現状維持を利益とする。
どんな国際条約でも
現状維持の上に立ってゐるのは、
それを平和主義と思はせるからであるが、
貧乏人と金持ちとが同一の標準で暮らしてゐたら、
だんだん貧富の差が増大して、
わかり切った結論となる……
戦争真っ只中の昭和18年、
どのような気持ちで書かれ、読まれたのだろう。

もうひとつ面白いのは
漢語に中国音の振り仮名がついてること。
最近の新聞は人名に中国音の振り仮名がついていたりするが
これは、英語の標記/発音への配慮らしい。
戦争であれ、満州であれ
当時は中国語が今よりなお身近であったのだろうか。
孫子の方では
「三点水児」に「さんずい」
「左耳児」に「さとへん(こざとへん)」
という振り仮名がついていたりするのも面白い。

















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「侵略神社」の名は過激とも思われるが
戦前の海外神社と神社行政が淡々と叙述されている。
朝鮮、台湾、南洋諸島等々の神社の写真が
140頁以上にわたって収載されているのも興味深い。

写真はサイパン(彩帆)神社(左上)、南洋神社(右側2枚)

敗戦に際し、
朝鮮等の神社では
ご神体は日本に脱出させ
神社自体は汚されたりすることの無いよう
神職らによって破却、焼却されたそうだ。

自由価格本で、定価3000円が1000円となっていたので
買わないわけにはいかなかった。