2016年3月12日土曜日

古い街並み

三浦半島のさきっぽ
三崎町の古い民家。

ちょっとモダン。
そして
「モダン」の響きに感じられる
懐古的興趣。


三崎の金物屋

三崎のひなびた街の路地をちょっとはいったら
ちいさな金物屋があった。
切り出しナイフを1つかった。

漁港であり、三浦大根の産地である三崎に
似つかわしい刃物がたくさんあった。
どれもこれもそれらしくて
実に愉快。

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最近のお店だと
「ナイフ」的なものはあっても
「切だし刀」などはあまり種類をおいていない。
そんななかでこの店には
小さいながらもひとケースの切り出しが、
日焼けした箱に入ってならべられていた。

傘屋切りだし。
反りのあるナイフ。
他であまり見られないものがいくつかあった。

左利き用の、
なまぞり、
というほどではないが
刃にカーブのついた切りだしを1つ買った。
小さな細工物に
槍鉋的な削り目を入れられるのではないかと思って。
研げるかどうかはちょっと心配。

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魚締め包丁
柄は漁師が好みで溶接して付けるとのこと。
小さいのは鯛用
大きいのはイナダだったかな
(イナダには大きすぎるような…)



イカ裂きなど


長いのは三浦大根の収穫用



















予定外の路地で
予想外の喜びを味わった。

ホソカワカオリ

ホソカワカオリさんが地元横須賀で個展をするというので
三崎での買い物を兼ねて会いに行く。

ウチの食器の相当パーセンテージは
カオリ作品なので
展示されているどの作品も
新しくも、懐かしい。

彼女が窯を築いて2,3年目のころはじめて出会い
もう15,6年のお付き合いか。

知り合って何年もしない頃
なんだっただろうか
祝いの贈り物に
陶硯と水滴をいくつも作ってもらった。

カオリさんは硯や水滴のことを
どのくらい知っていただろう?
今考えると
頼むヤツも頼むヤツだが
引き受けるヤツも引き受けるヤツだったと思う。

カオリさんはおそらく
硯は墨をすり下ろす
大根おろし的なものと思ったのだろう
出来上がった陶硯は
硯面がザラザラ粗くて、
実用には適切とは言いづらかった。
ただ
僕はどうも気に入ってしまい、
贈る予定だった相手の何人かに
なんだかんだの言い訳をして別のものを贈り
硯1つと水滴2つを自分の手許に置いた。

明日横須賀に出かけよう、
という夜、
思いついて、
今も玄関の飾り棚においているそれを
新聞紙にくるんで持参し
カオリさんと昔を懐かしんだ。

今年のGWは
久しぶりに雑踏の益子陶器市に行ってみようかな。
































2016年3月11日金曜日

一本松の「信」

奇跡の一本松の維持と保存については
震災直後からたくさんのニュースになっていたし、
賛否もいろいろあった。

やったらいいことなのだろう、
とは思われたが、
はたして今なのか?
とも思った。

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行ってみると
陸前高田は、
なにもかもがもう
声を失うくらい跡形もなく洗い流されていた。

そんな中で
ただ1本の松の存在が
無に帰した。という評価を
静かに拒むが如くであった。

真っ平らで、
おそろしく見通しの良くなってしまった市内からは
どこからでも松が見えた。
何キロ先からでも見えた。

ともすれば
「すべてが失われた」
と思いそうになる街(だった地)の上で
松が見えるという視覚的確認は
「耐えて立っているものがいる」
ということを思い出させ
絶望への陥落を
かろうじてつなぎとめ、
現実に向き合う
気力を搾り出させているかのようだった。


松の保存には
いろんな批判もあったけど
合理的とはいえない選択なのかもしれないけれど
僕が高田にいたのはほんの数日にすぎなかったけど
その時のその場に立てば、
それはそうしないわけにはいかない
理由があったように思われた。

「信なくんば立たず」
というが
僕には松がその
「信」そのものであったように思えたのだった。

震災から5年。
写真をひっくり返していたら
バカみたいにたくさんの松の写真が撮ってあった。
それをみて
そんなことを思った。

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子貢が問う。
「政治とは?」

先生は
「食、つまり、体を維持するのに必要なもの、
  兵、つまり、コミュニティーを守る仕組みやハード、
  信、つまり、信用、心のよりどころ、身を任せられる何ものか、
  それを提供するのが政治だ」
という。

「1つを捨てるとしたら何を捨てますか?」
「仕組みやハードだね」

「もう一つ捨てるとしたら何ですか?」
「物資だね。」

「物資があってもなくても、
 死ぬというのは不可避。
 だが、
 信じられるものなければ
 存在することすらできない。」
そう先生はおっしゃった。

子貢問政
子曰。足食。足兵。民信之矣。
子貢曰。必不得已而去。於斯三者。何先。
曰去兵。
曰必不得已而去。於斯二者。何先。
曰去食。
自古皆有死。
民無信不立。
      (論語/顔淵)












2016年3月6日日曜日

ワイルドな釘箱

1時間で作るワイルドな釘箱




寝る前に、枕元でネジをぶちまけるという悲劇から1週間
その間実質放置
            …ワイルドだろう?

ケースも壊れたので入れ物を探す。


別の部品の入っていた100均の箱に
部品を捨てて仕分けてしまう
            …ワイルドだろう?



蓋がないことに後から気づき
ゴミ箱から拾った木切れを切って
を養生テープで貼りつけて蓋にする
            …ワイルドだろう?


蝶番の代わりに革をはる。
工作台を片付けるのがめんどくさいから
食卓の上で工作してしまう。
            …ワイルドだろう?

中にネジが入ったまま工作しているから
へたしたらネジをまたぶちまけてしまうかもしれないけど
気にしない
            …ワイルドだろう?


留め具をつけるのがめんどくさいから
革の入れ物を壊してボタン部分を使うことにする。
            …ワイルドだろう?


まだ読んでいない新聞の上で工作しちゃう。
            …ワイルドだろう?

切るのはフリーハンド
            …ワイルドだろう?


ボンドで貼りつける

開け閉めして
蓋側の革が剥がれないよう
大きめにのりしろを取るが、
後から思いついてネジで留めたら
邪魔に見えた



なので、切り取ってべりべり剥がしてしまう
            …ワイルドだろう?


2016年3月
スギちゃんギャグでブログを書く
            …ワイルドだろう?

2016年3月4日金曜日

蟹の漬物と朝鮮半島の訓読み

FBでのやり取りの中で
「がに漬け」
に話が及んだ。
初めて聞く食べ物。

「朝鮮料理のケジャン みたいなものですね」
と受けた。

蟹の漬物

がに漬

がね漬、がん漬、真がに漬
ともいい、
シオマネキなどの小型の蟹をつぶして唐辛子味で漬け込む
(ウィキペディア)

蟹醤(かにびしお)

沢蟹で作られた
やはり唐辛子味の発酵食品

がん漬、かにびしおとも九州のもの

ケジャン

ワタリガニのキムチ。
醤油味のつけだれで作るものをカンジャンケジャン
ヤンニョムで漬け込むのをヤンニョムケジャン
という。(ウィキペディア)

ケジャンは食べたことがあるが
がん漬、蟹醤は未見。
覚えておきたい。

朝鮮の訓読み/湯桶読み

ケジャンを漢字で書くと
 蟹醤
らしい。

「蟹」の文字の朝鮮音は「へ」
蟹の朝鮮語は「ケ」

すなわち
 蟹醤
は漢字を朝鮮音で読めば「へジャン」
となる。
もしこの熟語を
「ケジャン」読むなら湯桶読みとなるだろう。
(1文字目を訓、2文字目を音で読む)

朝鮮でそういう漢字の使い方(読み方)はするのだろうか。
換言すれば
朝鮮半島に
「訓読み(中国由来の音でなく、自国の意味で読む)」
はあるのだろうか。

京城をソウル
と読むなら「訓読(熟字訓)ということになるだろうか。